映画ノハナシ

趣味のブログ

鬼滅の刃

鬼滅の刃』にハマる理由

 

先日、ついに完結!結末が気になる…

気になりすぎる…!

 

これまではあまり少年漫画を見てきませんでしたが、流行りに乗っかってアニメ観たらハマってしまった。アニメ化されてない6巻以降は、漫画アプリで全部購入してしまった程…。

 

周りをみると、大人でも好きな人が多い気がする。なんで鬼滅の刃がこんなにも人気があるのか私なりに考察してみたいと思う。

 

 

①登場人物への共感

 

鬼滅の刃がなんで良いのかっていうと色々あるけど、時代も状況も何もかも違うけれど、共感してしまうことが多いからではないかと思う。

 

家族と一緒に普通に暮らしていたかったけれど、ある日突然鬼に家族を食べられて天涯孤独の身になってしまったり、家が貧しくて明日の食べ物にも困って鬼になったり、、、

"普通の幸せ"を生きれなかった人の話の集まり。

 

鬼も人間も、何か鬼に関わるまでの暗い過去がある。みんな、どこかどこかままならないのは当たり前。程度の差こそあれ、誰しもままならい部分に共感してしまうのではないだろうか。

 

 

② 頭脳戦の戦い

 

私に関して言えば、昔から少年漫画の戦闘シーンがあんまり好きではない。お互いの力の強さを競い合って、力技で勝つというのをあんまり面白く思わない子どもだった。(ピンチになると、いきなり主人公が進化して強くなって敵を倒すとか)

 

しかし鬼滅の刃は、戦いのシーンも魅せられる。強い鬼になればなるほど、相手がなぜこのような攻撃をしてくるのかを分析し、相手の弱点をつく攻撃をしないと勝てない。力技で勝つというよりは、相手の考えていることや攻撃の特徴を読む頭脳戦で勝っているのが面白い。

また登場人物が死ぬ間際には、走馬灯とともにその人の過去が分かってくる。その人の身体的特徴、戦い方、性格などが、すべて結びついて意味があったのだと気付かせられる。

 

 

③敵も魅力的

 

鬼滅の刃で描れる、人間の敵であるはずの鬼も魅力的だ。鬼はもともと人間であり、鬼にならざるを得なかった理由がある。主人公の炭次郎の目を通して、読んでいると鬼を憎むというより哀れに思ってしまう。

 

特に、十二鬼月の猗窩座(あかざ)の話が、すごく良かった。鬼滅の刃で1番心を奪われたキャラクターの1人だ。猗窩座と炭次郎、富岡義勇の戦いを描く、15〜19巻を読んでいる時は読むことに夢中で自分が泣いていることに気がつかなかったくらい。

猗窩座の話はとにかく切なかった。本人にとって悪いことをしているという自覚は無かった。強くなるためだけに鬼となり、何人もの人を殺してきたものの、女の人は一度も食べなかった。猗窩座の中には、純粋な行動の軸があったことに感銘を受けた。

 

剣士も壮絶な人生を生きているけど、鬼は生前恵まれなかった上、鬼となりさらに残酷な人生を生きていると思う。鬼の人生に同情し、泣いてしまうことが多い。

 

 

④善悪の境界線の曖昧さ

 

私がこれまで観てきたヒーローアニメは、こちらは"正義"、あちらは"悪"とはっきり分かれていている違和感、悪人に正義を教える違和感もあった。

 

鬼滅の刃では、鬼と人間、敵と味方の境界線は少し曖昧だ。禰豆子や珠世様は鬼だけど敵ではない。人間だけど鬼を食べて鬼の力を得て戦う、不死川玄弥。これは私の主観だけど、柱の不死川実弥や伊黒小芭内は悪人のような顔してる。笑

現実では、一方が絶対正しくて、一方が絶対悪

いみたいなことは少なくて、善悪の境界は曖昧だと思う。そういう話だからこそ、子どもだけでなく大人も魅せられてしまうんだろうなと思う。

 

考察とか言いつつ、ただ自分が好きな漫画を語りたいだけの文になってしまった笑

作者の吾峠呼世晴(ごとうげ こよはる)さん、ほんとにすごい。そして人気だからといって、ダラダラ続かずに21巻?22巻?で完結させたのもかっこいい。

 

結末どうなるんだろ、たのしみ!

 

 

 

 

 

少女邂逅

少女邂逅

 

モトーラ世理奈ちゃんに惹かれて、見始めた映画。

ストーリーも画の雰囲気も良くて二度見してしまった!以下は難解なこの映画の私なりの解釈をまとめてみました。映画の結末まで書いているのでネタバレ注意。

 

 

 

あらすじ-----------------------------

 

いじめられていた高校3年生のミユリ。リストカットをしようと思ったときに手首にいた蚕に紬(つむぎ)と名前をつけ飼い始める。しかし、いじめられっ子に取り上げられ、草むらに放られてしまう。

-いつまで、そんな狭い世界にいるの。私が出してあげる。

 

その翌日、富田紬(つむぎ)という女の子がクラスに転校してくる。紬とミユリは共に行動するようになる。

ーねえ、知ってる? 虫はね痛覚がないの。長くは生きれないから痛みを知っていてもしょうがないの。痛みが分かるってことは長く生きる価値があるってこと。

 

紬とミユリは、誰にも内緒でふたりで沖縄にいくことを約束する。ミユリは紬にどんどん惹かれていく。

 

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まゆから大人になるミユリ。そして、まゆの外側だけが使われてしまった紬。というように私には見えた。

 

ミユリの夢の中での、紬の言葉が印象的だった。

実は紬はクラスメイトの中身を空っぽにして、外側だけを売っているという。

ーみんな外側しか見てないし、外側にしか興味がない。そして外側を利用するだけ利用して、捨てられる。

 

 

 

1番映画がよくわからなくなったところ。

 

約束していた沖縄に行こうと電車を待っていた時、ミユリは紬の太ももの傷痕から糸が出ていることに気づく。ミユリはそれを夢中になって引き出してしまう。そして糸がぷつんと切れた瞬間に、二人の関係は一転する。

 

ミユリは紬を置いて家に帰り、紬は捜索願を出されていた警察に保護される。学校でも会わなくなる。ミユリは大学に合格し、東京に行く。

出発の電車のホームで、いじめられていたカオルから紬が死んだことをつげられる。部屋の隅でひっそりと餓死したと。

ミユリは人気のない電車の中で、今までは実行できずにいた、リストカットをし、血を流す。

 

 

 

あれ、なんでミユリは紬と距離を置いたの?

紬はなんで死んじゃったの?

最後になんでミユリはリストカットして終わるの?

 

 

紬から出ていた糸を全部引き出してしまったとき、蚕になぞらえた紬は、人間のミユリに対する価値がなくなったということを示しているのかな。それでミユリと紬の不思議な関係は終わり、紬はミユリに放っておかれる。

 

 

蚕は人間のために家畜化された虫。まゆから出て餓になっても、自分の身体が重すぎて飛ぶことができない。でも痛みを知らないから、足が取れても羽が取れても動いて、2日と持たずに死んでいく、らしい。

 

 

紬は蚕の擬人化。だけど驚くほど、今の人間と被る部分が多いことに気づかされる。外見だけで人を判断している人、自分の外見しか価値がないと思っている人、いっぱいいるんじゃないだろうか。自分だって例外じゃない。特に中高生の時の自分は、それにすごく苦しめられたし苦しめた気がする。

 

 

最後ミユリは、痛みを感じるようになった、ということ。これは長く生きていくと決意したということ、なのではないだろうか。紬とミユリの違いは痛みを感じれるかどうか。痛みは苦しいけど、それを知らないと生きてる価値もない。生きることが苦しいひとへの厳しくも優しいエールなのだと思う。

 

2020.5.14 追記

友人からこの記事の映画のタイトルが、間違っているという指摘をもらった。

…びっくり。ずっと『少女改造』だと思っていた。どうりで、タイトルの意味だけは分からないなあと思っていた。

正しくは『少女邂逅』(しょうじょかいこう)。邂逅とは、「思いがけなく出会うこと。巡り合い。(-三省堂大辞林第三版』より」)

なるほど。この映画への理解がまたなんとなく深まった気がする。紬との邂逅によって、変わっていくミユリ。偶然のような必然のような出会いと少女の変化に焦点を置いているのかな。

好奇心に殺される夢

怖い夢を見た。

 


日本の都心に、言葉が通じないけど、自分たちと顔もほぼ同じのアジア人が、少しずつすみ始めてきた。私も彼らの近所に住んでおり、その動きに、興味を持っていた。

いつのまにかそのアジア人は増え、私の住む街の中に、独自エリアを築くようになる。マンション一棟を買い取ったり、空き家だった戸建てもどんどん買い取られていく。次第にそのエリア内にはそのアジア人しか住まなくなり、最後には自分たちで周囲に高い壁を建設する。

私は好奇心から、そのエリアに潜入する。顔もほぼ一緒なので、バレなかった。ビデオカメラを持ち、中を撮影し外に公開した。いつしかそのアジア人しか集まらない、エリアの集会にも出るようになる。

そこの住人は指導者に従順で、操り人形のように従っていた。ある時、身元調査の紙が回ってきた。私はそこで求められるままに自分の携帯番号を書いて渡してしまう。

その後も自分の友だちと共に、恐る恐るその会に潜入し続けたが、ある時GPSを渡される。これでこのエリア外から侵入しているものが分かる、と。そのGPSは、自分の携帯と連動しており、登録された携帯番号を入力することでGPS機能が始まる。

なんであの時本当の携帯番号を書いて渡してしまったのだろう、とても後悔した。

GPSに架空の電話番号で登録しようとするとエラーになる。もう携帯を変えて、携帯ごと、このエリアに放置して逃げ出したい…。

「ビービー、ビービー」(GPSのエラー音)

「ビービー、ビービー」

「ビービー、ビービー」(ん?これ、外で鳴いてる鳥の声だ…)

→目がさめる

 

 

内容は夢だけど、自分の日常的にやっていることとリンクして、とても怖くなった。この夢から思うこととしては2つ。

   まず、私は好奇心のために簡単に個人情報を渡しすぎだったということ。最近、あらゆるサイトで登録することが多くなった。その一回一回が面倒くさくて、流れ作業のように無頓着に、個人情報を書いていた。情報を手に入れたいがために、自分の情報を相手に軽く渡しすぎていた。どんな媒体に渡しているのか、どこに登録しているのかきちんと調べないと、いつか痛い目に合う。

   次に、ふらふらとした好奇心は危ういということ。好奇心によって殺されるかもしれないということ。何も考えず、好奇心のままに動くのは危ない。自分の軸を持ち、情報を取捨選択すること。そんな慎重さも持ちたい。なんでも面白そうだから、は命取りになる。


お金や物以外に、自分の情報という対価を払って、いつも私は他の情報を手に入れてるんだなあと、しみじみ怖くなった朝だった。

「初めまして 」でも緊張しない場とは?

先日、とある会社にインターンに行った。

その会社は、社会人のインターンを企画する会社。インターンの内容は、「インターンの企画をつくり、それを紹介する記事をつくる」というもの。

会社のコンセプトが、今の仕事に迷う自分にとてもぴったりで、共感した。また単純にオフィスワークも体感してみたくて、この会社にインターンしようと思った。

 

その日はまるで、その会社の一員になれたような1日だった。オフィスで働き、ランチを共にし、経営会議にまで出させていただいた。

今の自分の働き方とは、違う働き方もあるのだと知れた大変充実した1日だった。

 

そして当たり前だが、とっても気疲れした。

仕事内容は楽しかったが、職場の人とのコミュニケーションがあまり上手くいかなかった。1日の体験だし馴染めないのは当たり前。自分のコミュニケーション能力だって、決して高いわけではない。初めての場所で、緊張でガチガチになってしまっていた。ただ私は、いつも初めての場所でガチガチになるわけではない。初めての場所ですぐに馴染めることもある。

 

この違いはどういうことなのだろう?と考えてみた。

 

初めての場所でもすぐ馴染める時は、

 

◎相手が自分に関心があり、無条件に受け入れてくれると思う場所

◎その場にいる人が自分に無関心であり、その場での振る舞い方が分かっている場所

 

なのではないかなと。

 

前者は、お話が上手な美容室や服屋さんなど。笑顔で迎え、自分に対して様々な質問をしコミュニケーションを図ろうとしてくれる。相手は私からお金を得られる(かもしれない)ため、無条件に親切にしてくれる。

後者はコンビニや大手チェーンのカフェなど。コンビニやカフェに入る時は、個人経営の小さなお店みたいに「こんにちは〜」など気を使いながら入らなくていいし、レジの時は最小限の会話でいい。(と思っているけど偏見?)

 

(ビジネスの場にいないので、例えがお店しか出ない…涙)

 

これを踏まえると今回の場は、以下のようだった。

①自分以外がそこでのルールに精通している。

   (自分だけがどのように振る舞えば良いか分からない)

②相手が自分を受け入れてくれるかどうかは未確定。

(これからの自分の振る舞いによって、受け入れられるかどうか決まる)

 

もちろん緊張には良い効果もある。

緊張していたからこそ、普段の仕事以上の集中力を発揮できたように思う。

 

けれども、もう少し緊張をほぐして参加できたらもっと色々な話ができただろうし、もっと楽しかっただろうなあ。

 

もし次に初めての場に参加することがあったら

以下のことを気をつけたい。

 

・まず全員に簡単に自己紹介してもらう

これはランチに行くまで誰が社長で、誰がどんな人なのか分からず気まずかったからだ。オフィスは10人以下の狭い空間だったが9割方の人を知らないのは、気まずかった。どういう人がいると知るだけで安心感が増すと思う。

 

・その場でのルールを確認する

インターンをする事前のメールで、「インターンをどのようにするかはあなた次第」という文言があった。だからと言って、仕事中なのに社長にどんどん質問しにいけないし、これっきりの関係だからと言って場の空気を乱す行動を取るのは気が引ける。

・仕事中も気軽に質問して良いのか?

・静かにする時はどんな時?

・休憩は通常何時〜?

流動的でがっちり決まってないのかもしれないけれど、確認しておくだけでも気が楽なはず。

 

これをやるだけでも、緊張を感じた理由①は回避できたように思う。

前から感じていたが、今回で自分はこういう場面だと緊張してしまうとはっきり認識できた。よく手が震えたり、手のひらに汗かきがち。

 

インターンで得た意外な収穫だった。

 

次の記事では、このインターンを通して考えた会議の在り方について考えたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

ル・コルビュジエ展

本日遅ればせながら、上野国立西洋美術館で開催中のル・コルビュジエ展に行った。

 

以前からル・コルビュジエは建築家としては知っていたが、名前の発音さえ辿々しく、彼自身のことは詳しくは知らなかった。今回の展覧会は彼の建築自体というよりも、彼の建築のバックボーンを知れる展示であった。

 

本名は、エドワール・ジャンヌレ。

第1の発見は、彼は建築家であり、画家でもあったということ。彼はピュリスム(純粋主義)という絵画運動を、アメデエ・オザンファンという画家とともに主導した。

 

ピュリスムとは、機械文明の進歩に対応した「構築と総合」の芸術を試みた絵画運動。1920年ごろから始まった。コルビュジエとオザンファンは「エスプリ・ヌーヴォー(L'Esprit Nouveau)」という雑誌の中で、この絵画形式を主張した。(個人的な感想を言えば、表紙がとてもツボだった。雑誌の号数の数字が表紙の大部分を占めているのだが、”No.” のNの文字の配置が毎回異なっている。その配置のバランスが巧妙すぎて、見惚れてしまった。)

第一次大戦後、急速に機械文明が発達していく中で、芸術も同じように進化すべきだと考えた。合理的で普遍的な美を目指そうというコンセプトの絵画運動らしい。

様々な角度から観察した身の回りの日用品を、合理的で無駄がない配置で、組み合わせた絵画を描いている。

 

様々な角度から物を観察し、それを再構築した芸術といえば、パブロ・ピカソジョルジュ・ブラックらのキュビズムがある。ピュリスムは、キュビズムを批判することで出てきた絵画形式。一次大戦前の混乱が絵に現れている、観察物の配列が無秩序であると指摘した。そのため、ピュリスムは配列に黄金比を用いるなど、徹底的に合理的で美しい配列にこだわっている。

 

また、初めはキュビズムを批判するも、次第にピュリスムキュビズムを捉え直し、尊重するようになる。

ピュリスム前期(1910年頃〜)は、モチーフを様々な角度から観察し、絵画が立体的に見えるように描いていた。キュビズムのモチーフを平面的に捉える表現技法から影響され、ピュリスムの後期(1922頃〜)は、モチーフを平面的に捉え、輪郭線のみで描いた。隣のモチーフと重なりあう部分は透明で描かれ、連続した空間を表現した。

興味深いのは、立体的に描くより平面的な方がより絵画に奥行きが出るように感じるということ。

 

当初、ル・コルビュジエは建築界の隅の方で仕事をしていた。オザンファンに声をかけられ、建築家の傍ら、絵画を描いた。絵画を描く上で、合理的な配置に関しては建築の知識が生きることもあった。また、ピュリスムの重なりあうモチーフを表す表現技法は、コルビュジエ独特の重なりあい、仕切りがない連続した空間を創る建築にも生かされた。

 

まさに今回の展覧会からは、異分野と異分野が融合しあい、止揚される様が見て取れた。

 

自分の中に蓄積されたものは、何一つ無駄なものはないのかもなあ。大学時代学んでいた事と現在の職業は全く関係ないが、時々知識がリンクすることがある。今の知識や経験が、別の場所で生きることだってあるんだなあとしみじみ思った。

 

 

映画『グリーンブック』からアメリカ黒人差別の歴史を振り返る

1962年、ニューヨーク。

トニーがクラブでの警備の仕事が失うところから物語が始まる。

なかなか次の仕事を見つけられないトニーに、紹介されたのは、"ドクター・シャーリーの運転手"。

面接会場へ赴いたものの、トニーはその仕事を辞退することにする。なぜならば、その仕事は2ヶ月は自宅に帰れない長旅の運転手であったこと、そして何よりドクター・シャーリーが"黒人"だったからだ。

 

ドクター・ドン・シャーリーは、著名な黒人ピアニスト(博士号を取得しているためドクターとも呼ばれた)。まだ黒人差別が色濃く残る、アメリカ南部地方へのツアーを自ら計画。南部地方を黒人が旅するにはあまりにも危険な時代。ドクは腕のいい用心棒を探していた。

 

ドクは、トニーの家に電話をかけ、トニーの妻から長旅への許可を得ると、トニーに給料を引き上げて再度仕事を依頼。トニーは家族を養うためにも渋々ドクの運転手として働くことにする。乱暴で粗野なイタリア系アメリカ人トニーと、上品で教養のあるアフリカ系アメリカ人ドクの長旅が始まった。

 

これは今までになかった視点だったなあと思った。ドン・シャーリーみたいな人がいたとは。

黒人の上流階級に育ち、ピア二ストになった。才能が認められ、名声を得た。しかし彼は孤独だった。白人は教養のためにシャーリーの演奏を聴く。ステージの上ではVIPだが、トイレや食事は白人とは一緒にさせてもらえない。

上流階級で育ったため、他の大多数の黒人ともカルチャーを共有していない。フライドチキンも、黒人音楽家も、知らない。

 


"白人でもなく、黒人でもなく、人間でもない。俺はいったいなんなんだ。"

 


そんな叫びがとても響いた。ドクはどこのコミュニティーにも属せない。1人浮いてしまった存在。裕福で名声を得ていても、どうしようもない寂しさをずっと感じていたのだろう。

ドクのピアノの腕前や教養の高さを知り、黒人に対する見方が変わり、ドクを尊重するようになったトニー。フライドチキンの食べ方やちょっとした賭け事など、日々の些細なことを楽しさと笑いに変えるトニーに、笑顔をもらい本当の友人と想い信頼を寄せるようになったドク。そんな友情に心が温まった。

 

肌の色だけで外見だけで、相手を判断することは全くできない。

上品な白人と下品な黒人。そんな単純な二項対立ではない。自分も見た目やイメージ、固定概念に囚われてやしないか。

自分の目できちんと見たか、考えたか、周りからの評価に流されてはいないか。

 

ただ、映画のクライマックスのシーン。ドクがレストランで食事をすることを止めようとする、ホールの支配人の言葉にも考えさせられた。

 

”私の一個人の意見としてではなく、州の法律で決まっているからどうしようもできない”

 

この映画の時代背景、1960年代とはどういった時代だったのかきちんとおさらいしてみたくなった。南部の黒人差別の州法、”ジム・クロウ法”に焦点を当てて調べた。

ドクとトニーが旅をした1962年という年は、公民権法が成立する1964年の2年前。公民権運動が盛り上がり、黒人差別に対して世の中が揺れ動いていた時代だったのではないだろうか。

 

1960年から黒人差別の歴史を遡ってみる。100年前の1860年代には、北部では工業化が進み、流動的な人材がほしくなってきたため、黒人の奴隷制度が無くなりつつあった。ただ南部では、綿花の大規模農業が生業だったため、依然として黒人奴隷が必要だった。この奴隷制度や貿易の在り方(北部は保護貿易派、南部は自由貿易派)を巡り、南北戦争が起こった。北部が勝利し南部では奴隷制は廃止になったものの、依然として黒人のみならず、夕食人種全般に対する差別的な内容を含んだ州法が残った。これを総称してジム・クロウ法と呼んだ。これら法律は、1876年から1964年までの約90年という長きにわたり、継続された。劇中も、ドクは白人とトイレを一緒に使わせてもらえなかったり、酷いところではレストランでの食事も州法で禁じられていたりした。


タイトルの、「グリーンブック」 は、黒人が安全に旅ができるように、黒人歓迎の宿泊可能な施設が記載されたガイドブック。劇中、トニーはこれを頼りに旅をする。

ガイドブックの名前の由来は、ヴィクター・H・グリーンによって創刊されたことから。この存在はアフリカ系アメリカ人のコミュティのみで知られており、。ジム・クロウ法の1936年から1966年まで毎年改定されて発行された。

 

 1950年代から1960年代にかけて、有色人種の差別撤廃を訴える、公民権運動が起こり始める。1960年に発足したジョン・F・ケネディが、公民権運動に対してリベラルで、ジム・クロウ法を撤廃させる法案を次々に成立させた。ケネディ暗殺事件後、1964年にリンドン・ジョンソンが引き継ぎ、公民権法が制定されたことで、ジム・クロウ法は即時撤廃された。

 

 私は世界史でさらっと触れただけで、人種差別の歴史に対してはあまり断片的な知識しか持ち合わせていなかった。ただ、調べてみると、長い歴史の中で人種差別は続いており、法律ができたとしても、それは今にもつながっているということ。白人至上主義のトランプ大統領の台頭、など、日々のニュースから感じている。ジム・クロウ法について調べた時、黒人のみなならず、有色人種、つまり自分も、その時代にアメリカにいれば、差別の対象だったのだと思うと恐ろしい。

 

この映画がなぜ今作られ、アカデミー賞作品賞を受賞したのか、考えながら日々を過ごしたいと思う。見た目やまわりからの評価に流されずに…